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はじめての構造主義
橋爪 大三郎
はじめての構造主義

著者は、構造主義の〈構造〉が入門者にはわかりにくいと言い、また、この本は構造主義の入門書であるので、構造主義者の言う〈構造〉とは何かを説明するとまず言います。そしてレヴィ=ストロースが参考にしたものとして、ひとつには、ソシュールの言語学、ヤーコブソンの音韻論の流れがあり、もうひとつには、数学の流れがあると言います。
数学の始まりは、ユークリッド幾何学であり、ヨーロッパにおいて、理性主義の根底に、現実を写す鏡としての数学がありました。けれども、非ユークリッド幾何学の登場によって、ユークリッド幾何学は絶対の真理ではなく、ひとつの制度であることが明らかになりました。ユークリッド幾何学の内部でいくら矛盾がなくても、だからそれが絶対の真理だということではなくて、公理体系の異なる幾何学を他にいくつも考えることができるわけですね。
現代数学は、ヒルベルトの形式主義を経て、数学的な考え方そのものの〈構造〉を研究対象にするようになったそうです。たとえば、足し算は、ミカンが五個とリンゴが三個、合わせて八個、というように、具体的なもののように思いがちですが、現代数学では、群論と言って、演算を抽象化してその構造を考えるということが行われているそうです。そして、レヴィ=ストロースは、このような数学からアイデアを得たと著者は主張します。
たとえば、レヴィ=ストロースの婚姻交換の規則は、抽象代数の「群」の一種と瓜二つだと著者は言います。また、レヴィ=ストロースの神話研究は、地域によって少しずつ異なるいろんな神話が、数学の関数とか写像とかで言うのころの変換関係で結ばれたひとまとまりの集合であると考えます。この変換の規則がわかれば、ちょうど足し算や引き算がそのような〈構造〉を持つ演算の一種であるように、神話の〈構造〉も明らかになるわけです。
著者は、今まで、レヴィ=ストロースについて、ソシュールやヤーコブソンの影響が強調されすぎてきたきらいがあるが、実は数学のほうが大きな影響を与えているし、数学における〈構造〉と構造主義の〈構造〉はパラレルな関係にあると言います。私は、構造主義に関する本を、まだこれ一冊しか読んでいないので、これがどれくらいユニークな考え方か判断できませんが、なかなかおもしろかったし、説得力もあるように感じました。
入門書とは言え、網羅的に無機質に概説したものではなくて、著者が咀嚼し消化した知識を、自分の言葉で語っているところが好感を持てます。巻末に関連図書のブックガイドもついてます。

2001/01/26

存在は今確かにここにあるのだろうか。それとも私たちの心に映った影に過ぎないのだろうか。特に哲学的な議論をしない時も、世界をどう見るかという態度が小説を読む時の読者のイメージ喚起の種類や大小に影響を与えているに違いない。

世界観は変遷する。たとえば、中世の教会を飾った絵画は、神の視線で描かれ、遠近法も使われていなかった。遠近法による風景描写は視点としての個人が確立したルネッサンス以降のことだった。

もしも近代自我を持つ現代の読者を主人公に感情移入させることに成功したとしたら、読者は主人公の視点から他の登場人物を見るはずだ。そこには普段現実の世界で彼が他の人間を見る態度が無意識に形成されているはずだ。

前回主人公の葛藤を外在化させるために母親と恋人を登場させたという話をした。自意識の肥大した現代人は、まず第一に自分自身があり、他人は自分の内面に差し込む光や影でしかない。このような現代人の態度に合わせた小説は、一人称で語られ、語り手は容易に視点を乗っ取ることのできる透明な存在である。そしてその他の登場人物や事件は語り手の心理をより鮮明にイメージさせるための道具でしかないのではないか。意志ある個人として自分自身を定義する時、恋人や友人と共にいて嬉しいとか、社会悪を目の当たりにして憤慨するとかいうのは、自分自身に原因のある感情ではないために主体的でなく、むしろ白々しい。外部からの影響でなく、正に私が私であるところから由来する心理こそ本物だ。そんな心理としてたとえばどのようなものがあるだろうか。高校時代、国語の授業で習ったぞ。夏目漱石。知性と感情の相克。自我に内在するアポリア。確か、近代自我を育て理想を持ちながら地位や財産を持たない高等遊民である若者と、俗物だが資金的援助をしてくれる父との間に葛藤が生まれるんだったな。

しかし本当は内的な葛藤なんだ。「理由なき反抗」って奴かな。理由はないけど、若者の精神状態は嵐の夜の海のように揺れ動くのだ。精神状態のイメージってどんなだろ。まあ、一番基本的なのは、明るいか暗いかじゃないかなあ。というわけで、今回の三つの分節のイメージはこんな感じにしてみようか。
  1. 鬱々とした精神

  2. 溌剌とした精神

  3. 両面を併せ持つ精神

両面を併せ持つ精神とはどのようなものか。たとえば、大人である私は、長い時間を掛けて擦り減り痛んだ重苦しい自我を持っている。けれど心の片隅には、少年時代の溌剌とした精神を今もなお忘れずにいる。よろしい。それで行ってみよう。

この小説を書く前に、まず小柄でごま塩頭のセールスマンのキャラクタが思い浮かんでいた。彼は典型的な日本人サラリーマンで、猫のような丸い瞳を持っている。彼の登場する事件やシーンもいくつか思い付いていた。しかし考える論理的順序は分節の方が先でなければならないはずだ。まず分節を決め、分節に当てはまるモチーフを選んで当てはめて行くのだ。

そこで、ストーリーは次のようになった。

野々木耕助氏の思いで
  1. バブル最盛期、東京で一人暮の学生であった私のアパートに妙に馴れ馴れしいセールスマンがしつこく訪れるようになった。彼、野々木氏は外国の漫画に描かれるエコノミックアニマルの典型のように見えた。

  2. 夏休みに熱海の伯母の家に逗留していると、怒号を発し海に駆け込む野々木氏を発見した。彼の意外な面を見た気がした私は親しみを感じ伯母に私の友人であると紹介して一緒に酒を飲んだ。

  3. 私の鬱病の病歴を心配していた伯母は野々木氏のお陰で私が明るくなったと思い込み彼に手紙を書くよう言う。私は伯母を安心させたくて野々木氏を尊敬する先輩と偽って手紙を書き伯母に見せた後郵送したが返事は来なかった。

  4. 後日彼の一人寂しく死んだのを聞いた。

  5. 書き上げてみて、近代自我とか知性と感情の相克とか自体、古臭いということに気付いた。世代的に、サラリーマンというとバブル期のことを連想してしまうのだが、バブルもすでに十年以上昔の話なんだね。さらに第三分節があっけない。憂鬱な気持ちの中に溌剌とした精神を隠し持っているというのが、本当はどういうことなのかよくわかってないし、誰だってそうだろうという気もするし、要するにサプライジングがない。エステルの話を読んだ時は、なんとなく分かった気がしたのだが、異化効果について本当にはわかってないのかもしれない。エステルとは別の分節をどうやって思いつけばいいのかわからない。

    分節構造の問題は重要だし今後さらに追求していくつもりだ。それはそれとして、ひとつひとつの分節の中は、割と気持ち良く詳細に書き込むことができたように思う。ひとつの分節は、おおよそ原稿用紙5枚から10枚程度で、シナリオ教本や小説の書き方本にあるシーンや場面という言葉と重なる部分もある。しかしこれをシーンや場面に矮小化して考えてはいけないということは今までに何度も述べてきた。「いけない」なんて断定したけれど、まだ試行錯誤中であることは言うまでもない。分節はあるイメージを喚起するための仕掛けであると言ってきたけど、じゃあ仕掛けって具体的になに? これについても今後じっくり考えていかなければならないと思っているが、この習作の中で一番わかりやすい例を挙げると、次のような一文がある。
    海岸にはいくつものパラソルが開きビニールの敷き物を敷いて親子連れや友人同士らしき若者やビーチボールや幼児の泣き声や炭酸ジュースや日焼け止めクリームを入れたポシェットの忘れられて落ちているのやらが自ら望んで日の光にじりじり焦がされていた。

    これは海水浴場でよく目にするものの名前を列挙することによって、海水浴場のイメージを喚起させる仕掛けだと考えられる。そして海水浴場のイメージを喚起させる仕掛けは、この分節全体のイメージである「溌剌とした精神」を喚起させるためのいくつかの仕掛けのうちのひとつである。

    言葉のリスティングは最も単純で簡単な仕掛けだろう。おそらくは語句の並び、会話の使い方、文体など、様々な部品を組み合わせて、あるひとつのイメージを喚起させるための仕掛けを構築していくのだろう。

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評論/ノンフィクション | 【2005-06-19(Sun) 09:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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