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小説の言葉
ミハイル・バフチン, 伊東 一郎, Mikhail Mikhailovich Bakhtin
小説の言葉

バフチンは、小説の文体の特徴は言語的多様性(ラズノレーチエ)であると言います。作者の声に満たされた単調で単声的な文体に比べて、小説は、様々な言葉が入り込んだ多声的な文体です。まず第一に明らかなのは、登場人物の台詞です。これはしばしば作者の政治的信念と係わりなく自己主張します。たとえば、作品中で差別主義者は差別的放言をするし、マッチョは彼のスタイルで煙草を吸ったり強い酒を飲んだりし、かわいい女は女らしい仕草で恋人への恨み言を言ったりするわけです。第二には、地の文への様々な特徴的言葉遣いの導入です。「法廷や議会での弁論、議事録の特殊な形式、尋問調書、新聞のルポルタージュの形式、ロンドン財界の無味乾燥な事務用語、金棒引きのうわさ話、ペダンティックな学者の言葉遣い、高尚な叙事詩の、あるいは聖書の文体、偽善的な道徳的説教の文体」(p.85)などが、書簡とか裁判記録の引用とか新聞の切り抜き記事とかを装って、小説中に導入されるわけです。第三には、一見、作者の客観的な叙述文に見えて、その同じ文中のあちこちに他者の言葉が(しばしばパロディー的に)埋め込まれる場合です。バフチンはディケンズの例を引いていますが、そこでは、登場人物を紹介する一見客観的な描写の中に、「偽善的な公式的式辞というジャンルの古風な言語」を混ぜ込むことによって、登場人物のもったいぶった性格を表現しています。
言語的多様性は、複数の声が互いに矛盾し、主張しあうものであり、対話的、論争的であるという特徴を持っています。逆に、このようなものを持たない本質的にモノローグな散文は、真の小説ではない、とバフチンは言います。
バフチンは、フォルマリズムを批判したと言われていますが、この本を読んだ限りでは、どのように批判したのか今ひとつはっきりしませんでした。散文に関して、バフチンは文体を、エイヘンバウムは語り(スカース)を、シクロフスキーは視点と構成(シュジェート)を中心に研究したわけですが、これらは対立したり否定しあったりするものではなく、相補う関係に見えます。バフチンは、文体論として見たとき、エイヘンバウムのスカースもシクロフスキーのシュジェートも不十分だと言いますが、逆にシュジェートから見ると、バフチンの文体論は不十分であるようです。バフチンは、小説の構成の目的を、言語的多様性(ラズノレーチエ)を導入するためだと言いますが、具体的にどのように構成するかについては、少なくともこの本の中には書かれてありません。
巻末の解説によると、フォルマリズムが社会から言葉を切り離しその中に閉じこもったのに対して、バフチンは、言葉が社会の中にあり密接に関係していることを示したというようなことが書かれてありますが、スカースもシュジェートも言葉にとどまるものではないような気がします。この辺り、なによりまず私の知識が足りないので、もちろんこの本への批判ということではなくて、単なる疑問としてここにメモしておきます。

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評論/ノンフィクション | 【2005-07-26(Tue) 09:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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