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クリムゾンの迷宮
貴志 祐介
クリムゾンの迷宮

レビューには、お勧め度を示す☆印がついてたりなんかしますけれども、あれってどうなんでしょうかねえ。星ひとつの本の感想、わざわざ書く必要あるんでしょうか。お勧めの作品だけをレビューすればいいんじゃないでしょうか。今回取り上げる「クリムゾンの迷宮」は、間違いなくお勧めで、ほんと、おもしろくて、買ったその日に夜更かししてその夜のうちに最後まで読み切りました。

以下ネタバレを含むのでご注意!
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小説の面白さはいろいろあって、じっくり読んでいくうちにじわじわ感動が込み上げてくるものもあれば、とにかく先へ先へとページをめくるのがやめられないものもあります。クリムゾンの迷宮は、明らかにページをめくるのがやめられなくなるタイプの面白さです。
プロットは単純で、ゲームのルールが冒頭で明示され、それに従ってストーリーが展開していきます。伏線のような謎のような思わせぶりなモチーフがたくさん出てきますが、それらは大きく三つに分類できると思います。
第一には、普通の伏線で、ヒロインの女性がやや藪睨みだったり、補聴器をつけていたり、運動神経は良さそうなのによく躓いたりすることが冒頭から描写され、その秘密がラストで明かされます。
第二には、食料にまつわる秘密で、この謎は中盤であっさり明らかになります。
第三には、ある人物が、最初から話を仕切り、途中で不審な行動をすることです。彼はゲームマスターではないかと疑われますが、本当にそうなのか、そもそもゲームマスターとは何なのかについては、結局解明されないまま終わってしまいます。
上記第二、第三のミステリアスなモチーフは、いわゆる伏線にしてはあからさますぎます。かといって、推理小説的な謎とまでは言えません。推理小説における謎は、読者がじっくり読み込む必要がありますが、そういった本格的な謎ではなく、ラストで解明もされません。これらの伏線とも謎とも呼べないような中途半端なモチーフは、それぞれのページにおいて宙吊りのサスペンスをかもし出し、読者にページをめくらせ続ける香辛料のような働きをしているようです。


2006/01/28

240.クリムゾンの迷宮は傑作か?・其の一

「クリムゾンの迷宮」(貴志祐介、角川ホラー文庫、1999)は傑作である。会社帰りになんとなく本屋で購入し、列車の中で読み始めたら、止まらなくなって、夕食を取るのももどかしく、その夜、夜更かしして一気に読み上げてしまった。

傑作と呼ぶのになんの躊躇もない。

が、小説の面白さは多種多様であって、先へ先へ読み進める小説や、ゆっくり読んでいくうちラストでどかんと爆発する小説がある。そしてこれは明らかに前者に属するタイプの作品である。

どちらが優れているかということではなくて、いろいろな魅力を持った小説があるということだろう。けれども、ジョン・グリシャムとか、シドニー・シェルダンとか、スティーブン・キングとか、ディーン・クーンツとか、アメリカ産のベストセラー作家の多くが、このような、先へ先へ読者を引きつける力を持った小説を書いている。ハリウッド・タイプとでも呼ぶべきか。

いくつもある小説の面白さのタイプのうちのひとつとして、確かに、「読者にページをめくらせる」タイプの面白さがある。

貴志祐介は、外れのない作家で、どれも面白いのだが、特にクリムゾンは、読者にページをめくらせる力に優れている。その辺りの謎を追求してみたい。

(以下完全ネタばれ注意)

あらすじ

1.主人公(藤木)は、火星のような景色の場所で目を覚ます。手元に食料と水と携帯ゲーム機があり、「ゲームが始まる」と表示される。彼は記憶喪失状態で、不条理な状況についての長い描写がある。女(藍)を発見し、逃げるところを追いかけて話し合う。記憶が少し戻り、アルバイトに応募して、薬を盛られたことを思い出す。その後、ここに連れて来られたらしい。女は、自分の携帯ゲーム機を壊してしまった。彼女は補聴器を付け、藪睨みである。これらはすべて結末で明らかになる答と対になった伏線である。
2.第一チェックポイントに9人の人間が集まった。この先は、サバイバルのアイテムが東、護身用のアイテムが西、食料が南、情報が北のチェックポイントに存在する。野呂田が、四班に分かれてそれぞれのチェックポイントに行き、アイテムを手に入れてくることを提案する。藍は、藤木に北の情報を取りにいこうと言う。
3.藤木と藍は情報を取りに行く。これは熾烈な競争を前提としたゼロサムゲームのようだと藤木は藍に言う。情報の入ったカセットを手に入れ、携帯ゲーム機で再生する。ここはオーストラリアの国立公園で、雨季は交通が遮断され閉園されるので、ゲームを放棄して逃げ出すことはできない、また逃げ出すものには重大なペナルティがあるとわかる。また、食料を選んだ連中が一番危険なので、ゲームの後半は絶対彼らに近付くなと忠告される。さらに、食料になる動植物の紹介や、今後入手可能なアイテムとその価値評価などの情報が手に入った。藍は、重要情報を他の者には隠すように提案した。第一チェックポイントに戻ると、それぞれのグループが入手したアイテムを過少申告しピンはねしていることが、情報を入手した藤木にはわかったので、藍の言うとおり重要情報を隠した。
4.それぞれが最初に選んだチェックポイントに戻り、別々に行動することになった。第3チェックポイントでは、罠の作り方や獲物の調理法などが知らされる。また、「火星の迷宮」というゲームブックを手に入れた。藤木たちのゲームは、このゲームブックを元に作られているらしい。二人は大トカゲなどを捕まえて食べ、久しぶりに満腹する。藍は、高校生のころ覚醒剤に手を出した過去を語る。闇の中に三対の目が浮かび、ゲームブックの食屍鬼のようだった。
5.次のチェックポイントに向う途中、妹尾と船岡に出会う。交換という名目で、特殊警棒と催涙スプレーを受け取る代わりに、手持ちの食料をすべて取り上げられてしまう。妹尾はひどく凶暴になった様子だった。チェックポイントでさらに情報を手に入れた。例の三対の目はディンゴらしいとわかった。藍の言うとおり早目に立ち去って良かったと藤木は思った。二人は大蛇やワラビーを捕まえ、調理して食べた。
6.三日間雨が降りしきり、狩ができずに藤木と藍は飢餓に苦しんだ。たまたまみつけた大型のカエルを生で食って飢えをしのいだ。携帯ゲーム機を通じた情報は、このゲームがゼロサムのスナッフを撮影するものだと示唆した。藤木は最初に食料を取りに行った楢本と鶴見を目撃するが、彼らは怪物のような外見に変化していた。藍の助言に従って、チェックポイントに向うのではなく、楢本たちが来た道へ向け進むと、彼らの同伴者であった安部芙美子が焼かれ食われた跡を発見した。
7.楢本と鶴見を避け、藤木と藍は次のチェックポイントに辿り着いた。藤木は、些細なヒントから受信機を使うべきことに気付いて、藍の補聴器の電池を使わせてくれと頼むが断られる。最後チェックポイント(第7)に到着したが、ゲームは終わらなかった。誰か一人が生き残るまで続くらしい。楢本と鶴見が、食料に混ぜられた薬品で正気を失っていることに気付いた藤木は、携帯ゲーム機の電池を抜いて受信機を稼動させる。楢本と鶴見は、船岡を仲間に引き入れ、妹尾を襲う計画を話し合っていた。さらに受信を続けると、楢本と鶴見が、藤木と藍が情報を入手したチェックポイントに偶然辿り着き、藤木と藍が情報を隠していた事に気付いて激昂する様子が聞こえてきた。
8.食屍鬼と化した楢本と鶴見から逃げる藤木と藍は、怪我をした野呂田に出会う。野呂田の携帯ゲーム機を盗み見すると、パスワードで保護されていた。野呂田は、楢本と鶴見に襲われたと話す。一度には食べられないので、一緒にいた加藤だけが殺され、野呂田は見逃されたらしい。受信機を使うと、妹尾が楢本と鶴見に殺され、食われてしまったとわかった。
9.藤木たちは、近付きつつある楢本、鶴見と戦うことを決意し、あちこちに罠を仕掛ける。藤木は、藍が野呂田に「ゲームマスターなんでしょ」と問い詰めるところを盗み聞きする。楢本、鶴見が予想外に早く追いついてくる。「私が彼らを説得しましょう」と言っていた野呂田は、彼らのほうに駆け寄る。藤木と藍はその間に逃げ出す。罠を仕掛けた場所で仮眠を取っていると、鶴見が襲ってきた。格闘になるが、罠を使ってなんとか勝つことができた。藤木はゲームを止める決心をし、町へ向う。しかし楢本は追ってきた。途中、たまたま通りかかったアボリジニに出会い、助けてもらうが、楢本がボーガンで矢を打ち込んできた。アボリジニとは別方向に逃げると、ゲームを続けたい黒幕は、無関係なアボリジニのほうを、警察に通報されては困るという理由で射殺した。隠れ場所のない平野を町へ向け逃げることを断念し、藤木たちは再びジャングルに戻る。食屍鬼と成り果てた楢本に執拗に追跡され、黒幕が毒蛇を仕掛けた谷に追い込まれる。楢本は毒蛇に襲われ最期を遂げる。藤木たちは、毒蛇を逃がさないように入口に撒かれた薬品に気付き、薬品に付いた土を体に塗ることで免れた。だが、最後の最後で、藤木は毒蛇に噛まれてしまう。死を覚悟する藤木。
10.次に目覚めると、藤木は500万円とともに日本の安アパートにいた。藤木は、スナッフ・ビデオを撮影した黒幕を追及することを誓うとともに、再び藍に会いたいと思う。藍は、片目が義眼で、そこにカメラを仕込んだカメラマンだったのだろうと藤木は考える。

2006/02/04

241.クリムゾンの迷宮は傑作か?・其の二

クリムゾンを再読したが、最初に読んだ時のようなどきどきはらはら感はなかった。当たりまえと言えば当たりまえだが、ページを先にめくらせる力でぐいぐい読者を引っ張っていくタイプの小説は、おうおうにして、一度読めば十分であり、再読する気が起きないものである。それというのも、このようなタイプの小説の魅力の秘密の一端を示唆しているようである。

まず気付くのは、モチーフの繋がり方が単純であることである。モチーフのつながり方については、第86回ですでに考えたとおり、まず、A,Bを提示し、次にそのつながりを説明するようなやりかたがある。たとえば、ロイロットは乱暴者である、ジュリアは変死しヘレンは虐待されている、と提示した後で、ホームズが調査して、ロイロットには義理の娘の結婚を阻む強い動機があると判明する、といった形である。次に、それを応用して、A,Bを提示し、それを偽の謎解きで結びつけた後で、最後に正しい答を示すやり方がある。本格推理小説はみなこのような手口でモチーフを結びつける。この場合、Bが孤立した謎のモチーフになる。

第三には、伏線を並べて、それを結末と結びつけるやり方がある。召使を使わないことや偽の呼び鈴の紐や隣室の強い葉巻の匂いの描写が冒頭にあり、結末で、毒蛇の通路が発見されるといったような手口である。

第四に、エイリアンが卵を産みつけた、その卵が返った、返ったエイリアンが巨大化して人間を襲った、というような、最も単純なモチーフの結びつき方がある。

クリムゾンは、最も単純なモチーフの繋がり方の間に大量の伏線を埋め込んでいくことによって構成されている。ここには、謎を孕んだモチーフの繋がり方はない。

謎を孕んだモチーフの繋がりは、ミステリに特有のものではなくて、たとえば、同じ作者の「天使の囀り」でも、主要登場人物の青年が、次第に蜘蛛に取り付かれていく様子は、この先どうなるのかわからないまま話が進んでいくのであって、そこにはある種のミステリが含まれている。それに対して、クリムゾンでは、9人の人間がサバイバルをして、8人が死ぬまで続き、最後の一人が生き残った時点で終わる、ということが予め明確に示されている。いや、誰がどのように生き残るかというミステリはある、と言えば言えるかもしれない。が、私の関心は、両者の違いをきっちり言葉によってうまく定義づけることではなくて、だからそれは今はやらないけれども、モチーフの繋がり方において、クリムゾンのほうが天使の囀りよりも単純であることは明らかなようだ。

両者の違いはそれだけではなくて、天使の囀りが複数視点で展開されるのに対して、クリムゾンでは、最初から最後まで藤木の単一視点である。

クリムゾンが読みやすいのは、ひとつには、モチーフの繋がり方が単純で、伏線は複数あるものの、孤立した謎のモチーフがないこと、もうひとつは、視点が単一で、視点の切り替え(しばしば読者をたちどまらせる)がないために、読者が悩まずにどんどん先へ先へ読み進めることができるからだと思われる。

それから、ゲームのルールが明確であることもすぐ気付く特徴だ。これがゼロサムゲームの殺し合いであることは、冒頭から主人公によって何度も確信的に言及される。主人公の持っている情報をみなでわかちあえば、雨季で水には困らず、罠で小動物を捕まえて生き延びることができるとわかるのだが、最初は、他のチームがアイテムをピンはねしているという理由で情報を秘密にし、後には、楢本や鶴見たちがすでに食屍鬼に変身してしまったので、今更教えても無駄だと説明される。しかし彼らに情報を教えればピンはねする必要がないとわかるのであるし、そうしなかったから、楢本と鶴見は罠の食料を食べて食屍鬼に変身してしまったのであるし、そんなことは最初から予想の付くことではないか。人命をもてあそぶ黒幕への怒りが随所に書き込まれながら、結局は黒幕の意図どおりゲームを続けるのであり、実は黒幕の意図と構成の意図は一致しているのであり、再読してみると、作者の構成からの要請に屈して、藤木たちが情報を独り占めするのだということが、はっきり透けて見えてくる。

私は以前に、第232回でまとめたように、最もシンプルと思われるストーリーにも、後半のイメージの揺り戻しがあり、それが重要な技法であると言った。けれども、クリムゾンには、その揺り戻しすらない。以前分析した「ロスチャイルドのバイオリン」や「宇宙の孤児」が、後半にイメージの揺り戻しを持つシンプルストーリーであり、その変化の方向性は、読解の過程で段々に示されていくものであるのに対して、クリムゾンは、最初からゼロサムのサバイバルゲームであると明示されており、最初は9人で始まって、最後はほぼ全員死んでしまう結末まで、その変化の方向性は最初からあからさまである。そして、後半のイメージの揺り戻しもなく、ゲームのルールどおりに順番に人が死んでいく。

クリムゾンの構成は、モチーフの繋がり方、視点、変化の方向性のすべての面において、極限まで単純化してあり、非常に読みやすい。そして、伏線を多用することによって、読者の関心を先へ先へと導いていき、同時に、次々と理解しやすいモチーフ、たとえば、喉の渇きや餓え、生きものを捕まえ焚き火で焼いて食うこと、食屍鬼に追われること、鬼に食われる恐怖、などをストレートに列挙していくのである。

2006/02/11

242.クリムゾンの迷宮は傑作か?・其の三

クリムゾンの伏線を見てみると、最も目に付くのが大友藍に関する伏線で、ラストに詳しい解説がある。

今思うと、彼女には、最初から、いくつもおかしな点があった。藍は、歩いているときに、躓くことがしばしばあった。運動神経のいい女性にしては、妙だと思ったものだ。だが、あれは、距離感覚がつかめないための失敗ではなかったのだろうか。それから、俺が左から静かに近付いたとき、まったく気づいた様子がなかったこと。もっと不自然だったのは、安部芙美子や鶴見の死骸に対したときの反応だった。普通の女性なら目を覆うような凄惨な光景に、じっと目を見開き、魅入られたかのように凝視していた。最初に彼女の顔を見たとき、どこか、両目の焦点が合っていないような感じがしたのも覚えている。二人で一夜を共にしたときのこともそうだ。彼女は、耳に触れられるのをひどく嫌がった。補聴器の電池を貸してくれと頼んだときには、異常なまでの拒絶反応を見せた。そして、彼女の補聴器のそばでは、高性能受信機に雑音が混じった。疑惑は、眠っている藍の目を見たとき、急速に膨れ上がった。彼女の左の目の輝きは、明らかに右目とは異なっていた。のみならず、別の晩、そこには月が二重像を結んでいたように見えた……。
(p.p.386-387 「クリムゾンの迷宮」、貴志佑介、角川ホラー文庫、1999)

これらの伏線から、藍はこのゲームにカメラマンとして参加したと藤木は結末で考えるが、それぞれのシーンでは、それぞれのシーンのイメージの構築から孤立してこっそり置かれている。典型的な伏線といえるだろう。

その他の伏線としては、藤木が最初に手に入れた情報に、FSビスケットやビールが罠であり、ドクロマークと共に表示されるというものがある。これらには薬品が混ぜられ、それを食べた連中が食屍鬼に変身してしまうのである。これらは比較的早い段階であっさり明らかになるので、結末まで引き延ばされるタイプの伏線とは区別して考えたい。

野呂田は最初から場を仕切っていて、途中で藍からゲームマスターだろうと言われ、また藤木が彼の携帯ゲーム機を盗み見すると、パスワードでガードされている。また、楢本たちを呼び寄せるかのように、不注意な場所で焚き火をしてしまう。野呂田は、追いついてきた楢本たちに、このゲームを終わらせるもっといい方法があると叫びながら駆け寄っていき、あっさり殺されてしまう。

で、結局、野呂田はゲームマスターなのか。ゲームマスターとはなんなのか。それは最後まで解明されないまま捨てられてしまうのである。いかにも伏線然として登場するこれらのモチーフは、結末とは結びつかず、実は伏線の厳密な定義からは外れたものなのである。そもそも野呂田が本当に射殺されたかどうかの記述も曖昧で、ひょっとすると楢本に駆け寄ったのはお芝居であり、死んでないかもしれない。

伏線ではないとすると、なんなのか。私は、これは胡椒みたいなものであると思う。「クリムゾンの迷宮」というステーキを、さらに食欲をそそるものにするための調味料の一種である。その場その場での野呂田の不審な行動は、イメージ的にそれぞれのシーンを下支えしており、孤立して密かに置かれる伏線とは明らかに異なっている。そして、それぞれのシーンで理由を説明されないまま、サスペンスを盛り上げ、読者をして先へ先へとページを捲らせるが、それが目的のすべてであって、結末でちゃんと解説される必要はないのである。

そういうことで言えば、大友藍が本当にカメラマンだったのかどうか、彼女はまだ生きているのか、このような大仕掛けのスナッフ・ムービーを作った黒幕の正体はなんなのか、結局はわからないまま終わってしまうのである。そんなこた、このようなタイプの小説にとって、大した問題ではないのである。それらは、答とワンセットになった謎のモチーフではなく、また、結末と結びつく伏線でもなく、伏線に擬せられた調味料とでも言うべきモチーフなのである。

2006/02/18

243.クリムゾンの迷宮は傑作か?・其の四

「クリムゾンの迷宮」の面白さには、素材の面白さがあるように見える。火星のような縞模様の岩山に囲まれた奇妙な場所、携帯ゲーム機に表示される人を食ったアニメーション。喉の渇き、餓え、野生の動物を丸焼きにして食うこと、澄んだ泉でのヒロインの水浴、その後の食屍鬼との死闘、などなど。
……だが、あの晩のことは、どうだったのだろうか。あれも、単なる演出の一つだったのか。スナッフ・ピクチャーの娯楽性を高めるために、あのあたりで、濡れ場が欲しかっただけかもしれない。
(p.390 「クリムゾンの迷宮」、貴志佑介、角川ホラー文庫、1999)
これは、ラストで、藍と一夜を共にしたことを、本当の気持ちからか、黒幕の指図があったのか、と藤木が疑うシーンである。実は、このゲームの真の黒幕は、作者であるから、作者がこの小説の娯楽性を高めるために、濡れ場を挿入したのである。

このようなタイプの小説には、常に、死の恐怖、直接的な暴力や、餓えや喉の渇きなどの生理的圧迫、恋人との再会、あるいは恋人を奪われたことへの復讐、などなどの素材が入っている。濡れ場もそのひとつである。誠実な作家・貴志佑介は、構成上の必要から、ストーリー的に必然性のある濡れ場を入れたのである。映画化の際決して省くべからざるシーンである。

私は、シクロフスキーが、昔の詩人も現代の詩人も、変わらず同じ素材、恋人への愛やら草原の輝きやらを歌い続けていると言った言葉を思い出す。そして、小説を形式と素材に分けて、素材に注目すると、そこにまた形式が浮かび上がってくるのである。

仏教では煩悩を三種類に分けていて、それは、怒り、貪り、無知、である。貪りの中には男女の恋愛も含まれていて、だから修行中のパダ・ワンであるアナキンは、パドメとの恋愛を禁止されるのである。渇愛という仏教用語があって、これは貪欲を喉の渇きに喩えて言う言葉である。「クリムゾンの迷宮」には、怒り、貪り、無知の三つが、死の恐怖や飢餓や喉の渇きやセックスなどのわかりやすい素材を通じてすべて入っている。つまり5000年前から人間の欲望は変わっておらず、だからこのようなタイプの小説は、いつも同じモチーフを使うのである。

ただし、モチーフの表現にポピュラリティがある。変わらぬ煩悩の表現のために、(ガチガチのSFではなく)SFタッチの設定、ゲームブックとか携帯ゲーム機とかスナッフ・ビデオとかの(出版当時は)目新しい素材、オーストラリアの砂漠地帯の奇妙な風景と生きものたちの描写などなどを使う。つまり、古い欲望を目新しい素材でくるむという手口だろう。変わらぬ恋愛ものにオタクをくっつけたのが電車男であるわけだ。


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SF/ファンタジー/ホラー | 【2005-09-27(Tue) 09:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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以下いくつかの作品の落ちまで触れますけれども、「アン夫人の沈黙」のあらすじは、夫婦喧嘩をして、夫が謝るが、アン夫人はいつもの通り沈黙で応酬します。夫が出て行った後、飼犬が鳥籠の鳥を襲うが、アン夫人は止めようとしません。なぜなら、彼女は二時間前にすでに死んでいたからです。
この掌編の冒頭と結末を取り出すと、「アン夫人は口を利かなかった、なぜならすでに死んでいたから」となり、特に意外性はありません。夫人の死に気付かず謝り続ける夫、夫人の死と直接関係のない飼犬と鳥籠の鳥の描写が大半を占め、ラストでようやく、鳥籠の鳥を飼犬が襲ってもアン夫人は止めようとしなかった、なぜならすでに死んでいたからだ、というふうに結びつくところから、意外な感じが生まれてくると考えられます。
このような構造は、その他の作品にも見られます。「スレドニ・ヴァシュター」では、後見人の夫人に苛められている十歳の孤児が、夫人の死を願う話ですが、間に、少年が夫人に隠れて納屋で密かに飼っているメンドリと大イタチの話が長々と紹介されます。これは孤独な少年の心理を描写しているように見えます。そして夫人はメンドリを見つけて処分してしまい、少年は深く傷つきます。そして、まだ何か隠しているらしいと思った夫人が納屋に行って、大イタチの檻を開けてしまい、凶暴な大イタチに襲われて死んでしまいます。ラストは、少年が(夫人から単に意地悪のために禁止されていた)トーストを焼き、バターをたっぷり塗って食べます。この結末を読むと、大イタチが少年の心の支えであり、大事な宝物であるという中盤の描写は、もちろん嘘ではないですけれども、大イタチの隠された本当の役割は、鋭い牙で夫人を殺してしまうところにあったのだと気付きます。 冒頭と結末は腑に落ちる関係であり、その間に、鳥と犬とか、鳥と大イタチとかが挟まれて、それと結末とのつながりが弱いわけです。だからラストで意外感を感じると同時に、納得できる感じもするのだと思います。
この本の中の多くの作品が、そのような同じ構造を持っているようですが、一方で、それぞれの作品の面白さはそれぞれのモチーフによって、それぞれに面白いのだ、という感じも受けます。「狼少年」では、少年に化けた狼をうかつにも家に引き入れてしまうことのサスペンス、「トバモリー」では、もしも飼猫が主人のプライバシーを饒舌にしゃべりだしたら……という滑稽さが、それぞれの作品の眼目であるようです。
それでもやはり、「狼少年」において、少年に化けた狼を、密猟者だと思ったり、かわいそうな孤児だと思ったりすることによって、狼が子供を食うという当然の結末が引き延ばされたり、言葉をしゃべる猫のトバモリーによって結末が引き延ばされたりする、構造上の共通点が目に付きます。
これは、落ちの利いた掌編の勉強にうってつけの一冊と言えるでしょう。

小説の基本構成




2006/03/11

とりあえず、話の作り方として、まず至極もっともなAとEを考え、それとは直接結びつかないが、組み合わせると結びつくB,Cを考えればいいんじゃなかろうか。

至極もっともなAとEって、たとえばどういうものかな。「戦争反対」とか。「とは言えイラク派兵はやもえない」とか。「小泉詭弁内閣」とかか。つまり作者がどう思ってるかじゃなくて、世間一般に流布している通説であれば、小説として腑に落ちる構成となるはずだ。実験的に思いついて、それをちょろっとまとめて、気軽に習作として書いてみる、ってことができないもんかな。

そう思って1000字小説を2本ばかり書いてみた。意外と書ける。今まで、いろいろな方法論を試すために1000字を書いてきたし、そのような方法論に頼ったものよりも、ふと思いついて書いた1000字のほうが、どちらかと言えば高評価であることが多かったような気もするけれども、サキをお手本にして新しく書いた2本の1000字は、どちらも、今までの朝野の作品に比べて、起承転結がはっきりして、皮肉な落ちが利いているように思えた。

幻のデート
http://tanpen.jp/39/4.html
死んでも死なない薬
http://tanpen.jp/40/20.html

純文学・随筆/その他 | 【2005-09-08(Thu) 09:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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