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ミッション - イキウメ 2012/05/19
先週の土曜日に見てきたんですけどね。先週の土曜日。ついさっきのような気がするんだが、ハッと気づいたらもう水曜日の夜じゃんかー。まいったねー。工員矢野ゴメスだね。工員矢野ゴメスというのはね。長野に出稼ぎに来た日系ブラジル人の物語なんだけどね。まあそれは後にして。

イキウメですよイキウメ。どういう漢字を書くのかなあ。まさか生埋め? それはちょっと恐すぎるんでたぶんちがうと思います。そんな劇団名ありえないよね。じゃあ、粋梅かな。なんか焼酎の名前にでもありそうだね。いや、ちがうんだなこれが。これはね、大正時代にお梅さんって女学生がいてね。これがまたハイカラでね。周りの男子学生の垂涎の的。そういう大正ロマン竹久夢二風味なラブストーリーなんだね。

そんなわけで感想はつらつら書いてますがなんかタイムリープかと思うほど時間がないのでまだ書き上がってません。待ってる人がいるなら気長に待ってね。それにしてもホームページに開演時刻が書かれてないって、どうよ。

イキウメ
http://www.ikiume.jp/

(追記)5/25 コメント欄でご指摘いただきました。http://www.ikiume.jp/kouengaiyou.htmlの一番下のタイムテーブルに開演時刻が書かれていました。どうも、すいません。当日気づかずに電話して問い合わせたら丁寧に教えてもらえました。

(追記2)おまたせ感想はこちら 5/26
http://p.booklog.jp/book/29515/chapter/85102

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演芸/演劇/ライブ | 【2012-05-23(Wed) 22:18:50】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
PTSDな安全厨たち~なぜ科学は放射能パニックを説得できないのか ?
たとえばある子供が「幽霊って恐いよね」と言ったとする。そのときもう一人の子供が、「恐いもんか! 絶対恐くない! 幽霊なんかいないんだ!」と怒り出し、それ以上「幽霊恐い」話をすることを嫌がったとする。それどころか、まだ幽霊話を続けようとする子供を「不安を煽る」と敵視し、その子供の発言を封じるべく活動し始める。そのとき大人は――あなたは大人ですか?――どちらの子供がより幽霊を恐がってると思うだろうか。私は頑なに幽霊話を拒む子供の精神のほうがより危機的状況にあるのではないかと疑う。

なにか恐いことがあったとき、友達や家族と互いに「こわいよねー」「うん、そうだね」と言い合うことができれば、恐さのストレスを劇的に減少させることができる。けれどもそこでぐっと我慢してしまうと、ストレスが意識下に沈殿し慢性化してしまう。それは危険なことだ。

アーサー・ランサムの「海へ出るつもりじゃなかった」を読んだのは小学生のときだ。今その本は私の手元にないが、印象的なシーンを覚えている。まだ学童である四人の兄弟が本物の帆船に乗船することを許される。彼らは帆船が大好きで、二、三人乗りの極めて小さな帆船で河川を帆走する経験は持っていた。大人は、彼ら子供たちにどんなことがあっても海に出てはいけないよと注意して、本物の大きな帆船に子供たちだけを残して立ち去る。ところが嵐が来て、またさまざまなアクシデントが重なって、帆船は海に出てしまう。

四人の兄弟は、年齢順に、ジョン、スーザン、ティティ、ロジャーである。四人は船を港に戻すべく奮闘するがすべて失敗する。嵐が来たとき海岸のそばにいることは危険だと判断したジョンは、船を沖に向けて進める決断をする。長女のスーザンは、それまで一番冷静であり――この巻だけでなくシリーズ全巻を通して彼女は四人の中で常に最も大人に近い――ここまで失敗を繰り返してきたジョンを助けて献身的に努力してきた。ところが、ジョンが港へ戻ることをあきらめた途端、動揺する。明らかに合理的判断を下したジョンが、そのことを説明し、最も信頼するスーザンに目をやったとき、なんと、彼女は涙を流して泣いていたのである!

優等生と言ってもピンきりだが、スーザンはとびきりの優等生である。課題が親の言いつけの範囲内であるとき、彼女は完璧である。優等生だから自分の感情をコントロールできるし、実際そうしているのだ。けれども言い換えるとそれは子供らしくない我慢をしているということでもある。想定を超える事態となったとき、優等生スーザンは今まで積もり積もった我慢が限界を超えて感情が溢れ出してしまう。
海へ出るつもりじゃなかった (アーサー・ランサム全集 (7))海へ出るつもりじゃなかった (アーサー・ランサム全集 (7))
(1995/07)
アーサー・ランサム

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もうひとつ補助線を引こう。こちらもうろ覚えで恐縮だが、被験者にある文章を読ませて、あるキーワードにさしかかると軽く電気ショックを与えた。すると、どれがキーワードか自覚がないのに、キーワードを避けて話すようになったという。つまり自分が何をどう我慢しているかを自覚しないまま無意識のうちに我慢してしまうことがあるということだろう。我慢の自覚がないからそのストレスを解放しなきゃという気持ちも働かない。自然我慢が溜まり続けることになってしまう。

さて、社会学者の加藤晃生氏が放射能パニックについて書いた文章を読んだ。その内容を次に要約してみよう。

なぜ科学は放射能パニックを説得できないのか ? 被害者・加害者になった同胞を救うために社会学的調査が必要
http://www.gepr.org/ja/contents/20120409-03/
  1. 東京23区の西側、稲城市は東電原発事故以降も目立った放射線量の増加はないので放射能リスクもない。ところがそんな稲城市でさえ放射能パニックがあった。

  2. 放射能パニックに陥っている人たちは、原発事故を日常世界の外から侵入してきた理解し難い混沌であると感じ、畏れおののいている。これは宗教的な恐怖なので、このような人たちに自然科学の見地から安全であると言っても無駄である。

  3. 一方で、瓦礫処理の問題、東北・北関東地方産の農水産物の問題で、放射能パニックが看過できない悪影響を社会に与えている。放射能パニックに陥っている人たちは、被害者であると同時に加害者でもある。

  4. 放射能パニックを起こしている人々をケアするために、今現在どこにどれだけいるのか、どのような生活をしているのか、どんなことを日々感じ、考えているのかということを、きちんとしたリサーチデザインを持つ社会調査によって、把握していくという作業が必要である。

このテキストでは、東北・北関東地方産の農産物および瓦礫処理の問題について、すべて放射能パニックに陥った人々が引き起こした風評被害であると決め付けている。そしてその根拠を示していない。ただしひとつだけ例外があって、このテキストの作者が住む稲城市についてだけ、「この土地は震災前から現在に到るまで空間線量率に目立った変化は無いので、現在の科学的知見に照らし合わせる限りにおいて、この土地での育児において福島原発事故に由来するリスクは、子供たちを取り巻く様々なリスクの中ではごく小さなもの」と説明している。

つまり稲城市の場合は原発事故の前と後で放射能汚染の度合いに目立った変化がないためにリスクは小さいという、リスクの物差しを示しているのである。実のところ稲城市だって事故以前の10倍くらいは放射線量が増えているのである。関東に人が住み始めて以来、こんなにも放射線量が高くなったことは今までなかった。けれども稲城市の程度なら「目立った変化はない」というのがこのテキストの判断であり、だから稲城市は安全だと言っている。

ところが、東京西部よりも東部のほうが汚染度が高いし、千葉や北関東にはさらに汚染されたホットスポットがり、もちろん福島とその周辺は、チェルノブイリと同じレベル7の事故が起こったのだから当然ひどく汚染されている。だから東北・北関東地方産の農産物が安全だと言うには、その地域の放射線量でも安全であるという根拠が示されなければならないのに、それについてまったく触れてない。かといってこのテキストは東北・北関東については根拠を示すまでもなく安全であると前提しているという解釈も成り立たない。なぜなら東北・北関東より汚染度の低い稲城市の放射線量についての判断基準は神経質なくらいの長文でテキスト中に示されているからである。

自然科学の根拠を言えば、孫引きで恐縮だが、以下のページにわかりやすく説明されている。

実態がわかってきた関東平野の放射能汚染 各地で空間放射線量の測定進む
http://diamond.jp/articles/-/12857

このページによると、ICRPが勧告して日本を含む各国が法制度化している一般公衆の年間被曝許容量は、1mSv(1000μSv)である。ところで都内でも0.5μSv/h以上の場所はいくらでも見つかるが、これをICRP勧告に準拠した埼玉県川口市の計算方式にあてはめると、年間2.628mSvになり、あっさり年間被曝許容量を超えてしまう。福島とその周辺では、1.0μSv/hを超える場所が普通にあるから、当然東京よりもさらに大きく年間被曝許容量を上回っている。ゆえに現在の世界で多数派である自然科学の知見に基づけば、東京ですら危険だし、ましてや東北・北関東地方はさらに危険である。だからこそ東北・北関東地方産の農産物が出荷規制されてきたのである。では規制基準値以下で出荷された東北・北関東地方産の農産物についてはどうだろうか。ICRPは、被曝量に比例して閾値なしで人体に悪影響があるという説を採用しているが、最近それを裏付ける研究結果が発表された。ゆえに最新の自然科学によれば、少しでも汚染の危険がある農産物を避けることが、常識的で合理的な判断である。

このような自然科学の最新の知見が、このテキストからはごっそり抜け落ちており、にもかかわらず、このテキストは、科学的で合理的な根拠から瓦礫処理や農産物の問題に懸念を感じている人たちに対して、次のように言う。
いわゆる放射能パニックに陥っている人々は、これまでの自然科学の議論の積み重ねと、その成果としての福島原発事故由来の放射性物質のリスク評価が信頼できない状態にあると解釈出来る。それ故に、日常世界の外から侵入してきた理解し難い混沌に畏れおののいているのであろう。これは、科学的というよりは宗教的な恐怖である。とするならば、いくら自然科学の最新の知見を示して「落ち着け」「冷静に」と呼びかけてみても、大きな効果は期待出来ない。

よくよく意味を考えながら読んでみると、罵倒と言っていいくらいの激しい批判である。汚染地域の農産物に懸念を感じる人はすべて合理的判断ができない未開人レベルの連中であると決め付けている。いったい、子供の健康を気遣うお母さんが、放射能汚染が明らかな産地の農産物を買い控えることのどこがパニックなのだろうか、ごくごく当たり前の消費行動ではないか。ところがこのテキストの作者はそのような人たちに対してさらに「加害者」という言葉まで使って責め立てるのである。

加害者は放射能をばら撒いた東電である。それ以外に加害者という言葉を使うことは不適当である。自然科学の最新の知見についての大きな欠落部分があること、放射能の危険をわきまえている人たちに対する過度の批判があること、この二つがこのテキストの特徴である。

自分が住む地元の放射線量については神経質なほどの関心を持ちながら、東北・北関東地方産の農産物および瓦礫処理が安全である根拠を一切示していないのはこのテキストの矛盾である。この矛盾は極めて明瞭なので、気づいていればなんらかの言い訳があるはずだがまったくない。だから無意識のうちに抑圧してしまっていると考えるほかない。

いわゆる防衛機制の抑圧というやつである。優等生は想定範囲内のハプニングについては自分の感情をコントロールして大人らしく振舞うことができる。けれども未曾有の事態になれば、感情的なパニックに陥ってしまう。優等生にとっては優等生らしく振舞える限界を超えてパニックに陥ることこそが最も恐怖なのである。ところが今回の原発事故は、常識の限界を超えたレベル7の未曾有の事故である。放射能の人体への影響も不明なところが多くある。そこで優等生諸君は自分がパニックになることを恐れるあまり、今回の事態が未曾有の事態であるという事実のほうを抑圧してしまったのである。だから自然科学の根拠なしに今回の事故が安全であると言い張り、その矛盾を無意識下に抑圧しているために矛盾の自覚がない。そして危険厨を、せっかく懸命に抑圧しているコンプレックスを暴きかねない危険分子として敵視する。パニックになってるのは自分ではなく危険厨のほうだと言い立てる。いわゆる防衛機制の投影というやつである。

どちらが事態をコントロールできている感覚を持っているかと言えば、それは安全厨ではなく危険厨である。客観的にコントロールできているかどうかではなく、コントロールできている感覚を持っているかどうかが重要である。たとえばなぜジャンボジェット機が恐いかというと、乗客として受身の立場でじっと我慢するしかないからである。一方で自動車を運転するときは、自分でハンドルを握っているから自分が気をつければ危険を避けられる気がして、ジャンボジェット機に乗っているときよりも安心感が強いのである、実際にはジャンボジェット機に乗っていて事故に遭う確率よりも自動車事故に遭う確率のほうが高いのに。

だから危険厨たちの努力が客観的にどれくらい効果があるかとは無関係に、放射能の危険を自覚し、それを避けるべくあれこれ行動している危険厨のほうが、危険の可能性を無意識下に抑圧している安全厨よりも、ストレスが少ないと言えるのである。

優等生タイプの安全厨が今回の事故は大したことがないと言い張る理由は、自分が感情のコントロールを失いパニックに陥るかもしれない恐怖のためであり、それは利己的な理由である。そしてそのように抑圧した自分の恐怖を危険厨に投影して、危険厨こそがパニックに陥っていると言い立てているのだが、テキストの文中にもあるように、危険厨は「SNSやメールなどインターネットを(原文ママ)上のコミュニケーション手段に支えられている側面が大きい」のであり、能動的に仲間を探し利他的コミュニケーションを取っているので、孤立してパニックに陥る危険性はないのである。

社会学だの心理学だののモダンな人文科学を援用するまでもなく、ただもっとずっと枯れた技術である詩学を用いてこのテキストを分析するとき、このテキストは醜い。このテキストは利己的である。このテキストには大きな嘘が含まれている。

だから私はこのような優等生タイプの安全厨に対して寛容な気持ちにはなれない。日本社会は、現在危機的な状況にあり、ジョンが決断したような合理的決断をこれから繰り返し決断し続けなければならないだろう。そのとき、優等生タイプの安全厨たちは、そのような大事な決断の足を引っ張り、足手まといになり、邪魔をし続けるだろう。日本のこれからにとって、彼ら安全厨たちは、有害である。




時事/ブログ観察 | 【2012-05-15(Tue) 20:40:42】 | Trackback:(0) | Comments:(0)

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